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分類症候群

『ブラック・スワン[上]』を読んだ。
『ブラック・スワン[下]』は既に読んでいるけれど、[上]も読んで良かったと思う。

人は何かとパターンを見つけがちだ。
あるいは、ありもしないパターンを作りがちだ。
いい加減な分類がどれだけ傍迷惑か思い知りたければ、分類でできる塊が歴史上どれだけ頻繁に変更されたかを調べればいい。
自分が多少なりとも囓っている分野だとロックとかミステリィは酷い。
これはロックだとかこんなのはミステリィじゃないとか、はた迷惑な議論をそこかしこで見かける。
それでいて、ロックとかミステリィの定義に共通理解はない。

ラフ画にペン入れすると下手になった気分になるのと同じだ。
明確に一線を引かなければ、めいめいが好きな線を選ぶ。
もっと言えば、線なんて見ていない。
いや、何も見ていない。

ミロのヴィーナスが美しいのは、手がないのと同じだ。
なければ、そこに理想のものがあると仮定できる。

面白いのは、多くの場合、理想自体は後にも先にも仮定の中にも存在しないこと。
仮定できるのは、理想のものがあることだ。

理想があることを想像することと、理想自体を想像することは違う。
理想自体を想像できるのは、作り手側に属するときだけだと思う。

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北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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